浅草 都鳥MIYAKODORI · ASAKUSA

芸者衆の装い髪・着物・化粧

装いの見どころは三つ

芸者衆の装いは、髪、着物と帯、白塗りの化粧に分けて見ると分かりやすくなります。どれにも名前と決まりがあります。

写真:浅草 都鳥・2026年9月

芸者衆の髪や着物、白塗りの化粧には、それぞれに名前と決まりがあります。日本髪とかんざし、黒の引き着と帯、白塗りの手順まで、都鳥の女将と三代目の証言、花柳界の本の記述から記録しています。

11 項目 16 語 最終更新 2026-10-24

この資料室は、浅草で 1950 年から続く待合茶屋(芸者衆を呼んでお座敷遊びをする店)の都鳥が、浅草で直接聞いた話(証言)を大切にしてまとめています。人や時代によって覚え方の違う話もあり、書いてあることが必ずしも正しいとは限りません。違うところに気づいた時は、「知りたいことを送る」から教えてください。確かめて直していきます。

01日本髪とかんざし

↑ 髪・着物・化粧の写真は、このページのいちばん上にあります

01芸者の髷は、桃割れ・高島田・つぶしの三つ

半玉は桃割れ、一本になると高島田に変わります。

都鳥の女将によると、芸者衆の日本髪の髷は三つです。半玉は桃割れ(ももわれ)。一人前の一本になると高島田(たかしまだ)に変わり、もう少しお姉さんになると、つぶしという形にします。前から見た前髪は同じでも、後ろの髷の形が違います。

女将は、高島田はだんだん重たくなるので、年を重ねると軽いつぶしにする人がいると話しています。髪と着物の合う合わないもあり、江戸小紋を着る時には島田が合わないそうです。

三代目によると、今のお座敷でも基本は高島田で、つぶしの人もいます。名前は高島田でも、実際の高さは中高のことが多く、高島田とつぶしの間の島田を結うことは今はありません。花嫁が結う文金高島田は、芸者衆の高島田とは別の髪です。

証言都鳥の女将証言三代目 河村悠太

02浅草では半玉も一本もかつら。日本髪にするかは、お客様によって変わる

初めてのお客様のお座敷では、日本髪に白塗りがほとんどです。

三代目によると、今の浅草では半玉も一本も、日本髪は基本的にかつらです。かつらを使うかどうかと、日本髪で出るか洋髪(ようはつ)で出るかは、別のことです。

踊りを受け持つ立方の装いには、絶対の決まりはありません。初めてのお客様のお座敷では、日本髪に白塗りがほとんどで、いきなり洋髪ということはまずありません。慣れたお客様の前では、洋髪で白塗りをしないことが多いといいます。そうした姿を好むお客様が多いからです。

女将は、「日本髪でお願いします」と頼まれれば、芸者衆はちゃんと支度をしてくると話しています。三味線と唄の地方は、洋髪で白塗りをせずに出ます。

証言三代目 河村悠太証言都鳥の女将証言浅草の現役の芸者(地方)

03黒の引き着の髪には、鼈甲の櫛・笄・簪と、紅白の元結

花柳界では、元結を「もっとい」と読みます。

三代目によると、黒の引き着を着る時の高島田には、鼈甲(べっこう)の櫛(くし)・笄(こうがい)・簪(かんざし)の三つが挿してあります。櫛は髷の前寄りの上、笄は髷を横に貫いて両側に出ます。簪は前髪の側に挿します。

髷の付け根には、紅白の元結を結びます。結び目は小さく締め、左右に伸びる部分は長めです。一般には「もとゆい」と読みますが、花柳界では「もっとい」と読みます。

正月は稲穂の簪を、半玉も一本もみんな挿します。黒の着物を着ている間は、基本的に挿しているそうです。半玉は華やかな花の飾り、一本はかんざしも櫛も控えめです。珊瑚や翡翠の玉簪も、今も使われています。

証言三代目 河村悠太

02着物と帯

04芸者の正装は、五つ紋の黒の紋付き

1 月は黒の引き着を着て、中旬ごろからは「色変わり」に移ります。

都鳥の女将は、一本になると着る黒の出の衣装、黒の紋付きが、芸者のいちばん正式な衣装だと話しています。黒の紋付きは五つ紋で、紋は左右の胸・両袖・背中の五か所に入ります。女将は、五つ紋は花柳界に限らず、一般の着物でも正式なものだと説明しています。紋は、芸者衆がそれぞれの置屋の紋を入れます。

1 月は黒の引き着を着ます。黒を着るのは 1 月の中旬ごろまでが目安で、そのあと 1 月のうちに「色変わり」に替えます。色変わりは黒ではない付け下げの引き着で、紋は両袖と背中の三つ紋です。

本によると、黒地に五つ紋、白襟、織物の帯を柳に締める姿は、明治の新橋で東京の芸者の礼装として定まりました。明治政府が黒を礼装と定めると、花柳界もそれにならいました。敗戦後には、この姿が東京中の花柳界に広まったと本は書いています。

黒の引き着から色変わりへ移る時期は目安です。

証言都鳥の女将証言三代目 河村悠太本岩下尚史『花柳界の記憶 芸者論』(文春文庫・2009)

05引き着は、裾を引いて歩く「お引きずり」の着物

美しい裾は下へすぼまり、広がった裾は「行灯」と言って嫌われます。

引き着(ひきぎ)は、裾が長く、歩くと畳の上に引きずる着物です。三代目によると、黒の引き着は「お引きずり」で、ふつうの丈よりずっと長く引きます。裾は下へ向かってすぼまる形がよく、裾が広がって見えると、花柳界では「裾が行灯(あんどん)になっている」と言っておかしいとします。

引き着は重く、足さばきが難しいので、経験のある人が着るものです。芸者衆は基本的に皆、引き着を作ります。半玉の期間が長かった人は、一本になる時に作ることもあります。いきなり一本でデビューした人は、なかなか作れません。引き着を持っている人も、持っていない人もいます。

本には、裾を引く姿が日常のお座敷から消えた時期があったと書かれています。昭和 12 年(1937)の事変のあと、東京の芸者は島田を洋髪にまとめ、裾を引くのをやめたそうです。2009 年の本の解説でも、作家の平岩弓枝が、今は格別の時でもなければ洋髪で裾を引かない着方が普通だと書いています。一方で三代目は、今の浅草ではふだんのお座敷でも裾を引く人が多く、特に立方はそうだと話しています。

本の記述は、それぞれの本が書かれた頃の東京の花柳界の姿です。

証言三代目 河村悠太本岩下尚史『花柳界の記憶 芸者論』(文春文庫・2009)

06東京の芸者の帯は、柳結び

黒の引き着の時は、帯締めをしません。

三代目によると、黒の引き着の帯は柳結び(やなぎむすび)です。結びがバッテンのように見える形が粋だといいます。この黒の引き着の装いでは、帯締めはしていません。

本も、芸者の正装を黒紋付の引き着に柳の帯と書き、関西ではお太鼓に結ぶとしています。

ふだんのお座敷の着物では、帯締めは今も組紐を使います。お座敷に出る時は、指輪や時計を外すのが決まりです。

証言三代目 河村悠太本浅原須美『お座敷遊び』(光文社新書・2003)

07半玉は振袖に肩上げ。裾は引かず、ぽっくりを履く

ぽっくりの中には鈴が入っていて、歩くと鳴ります。

都鳥の女将によると、半玉は袂の長い振袖を着て、肩上げをします。七五三の子どもの着物に付けるのと同じ肩上げです。東京の半玉は「はしょり」といって裾を引かずに着て、帯の結び方も一本とは違います。

半玉は外ではぽっくりを履きます。女将は、ぽっくりの台には穴が開いていて中に鈴が入っており、歩くとチャリンチャリンと鳴ると話しています。三代目によると、ぽっくりの色は白っぽい色で、黒は履きません。

半玉の襟は赤のことも、白のこともあります。一本は外では草履が基本で、時々下駄も履きます。お座敷の中では、半玉も一本も真っ白な白足袋です。

証言都鳥の女将証言三代目 河村悠太

03白塗りと化粧

08日本髪の化粧は、白・赤・黒の三色だけ

女将は、いちばん大事なのは「現代風にならないこと」だと話しています。

都鳥の女将によると、日本髪の化粧に使うのは白と赤と黒の三色です。今のメイクは色を重ねていく足し算ですが、昔の化粧は赤をどれだけ薄めるかで個性を出す引き算だったといいます。女将は、引くことはあっても足すことはあまりない、と話しています。

紅は紅色だけで、ピンクやベージュは使いません。アイシャドウやつけまつげもしません。日本髪の横顔にまつげが反って見えるとおかしく、洋髪ならよくても日本髪には合わないからです。

眉は薄く黒や茶色を描き、紅を重ねてブラシでぼかします。形は下がり眉、三日月眉で、はっきりとは描きません。目元に紅を少し入れるのが「色気」になると女将は話しています。半玉の紅の差し方も、一本と同じです。

証言都鳥の女将証言三代目 河村悠太

09白塗りは、鬢付け油を下地に、おしろいをはたいて仕上げる

顔の化粧は、早い人なら 10〜15 分ほどで終わります。

都鳥の女将によると、まず鬢付け油(びんつけあぶら)をよく手で伸ばし、顔や襟に塗ります。お相撲さんが髪に付けるのと同じ油です。その上に、水や化粧水で溶いた襟おしろいを塗り、ポンポンとはたきます。舞台用の真っ白なパンケーキを使う人もいて、その時は下に白のファンデーションを塗ります。どちらを使うかは、肌に合うかどうかで決まります。

おしろいを伸ばす道具は、昔は太くて柔らかいハケ。今はスポンジです。

女将は現役の頃、顔の化粧を 10〜15 分ほどで終え、早い方だと言われていました。今の芸者衆も 30 分はかからないだろうと女将は話していますが、書き損じがあると 1〜2 時間かかる人もいます。三代目によると、着付けまで含めた支度は全部で 30 分から 1 時間、見習いは 1 時間半前後です。幇間(ほうかん)は白塗りをしません。

証言都鳥の女将証言三代目 河村悠太

10うなじは、わざと塗り残して描く。これを「三つ襟」という

自分では描けないので、箱屋さんに描いてもらいます。

都鳥の女将によると、襟を白く塗る時に、うなじの形をわざと塗らずに残します。これを三つ襟(みつえり)といいます。後ろ姿を見た時や、踊りで後ろを向いた時に、首筋がすっと伸びて見えるようにするためです。

本物のうなじの形は人によって違うので、手で描く時は片方を短く、片方を少し長くして、自然に見えるようにします。

三つ襟は自分ではなかなか描けず、箱屋さんに描いてもらいます。人手が足りない時は、描かずに全部塗ってしまう人もいるそうです。女将は、本当は描いた方がいいと話しています。

証言都鳥の女将

11白く塗るのは、ろうそくの明かりで顔を映えさせるためだったのでは、と女将は考えている

女将の推測で、昔は今ほど白くなかったのではとも話しています。

都鳥の女将は、電気のない時代のお座敷は百目ろうそくの明かりだったので、暗い中でも顔が浮き立つように白く塗ったのではないか、と話しています。自分で調べたことはなく、そう聞いている話だと断ったうえでの考えです。当時は物も少なく、今ほど真っ白ではなかったのではないか、とも話しています。

本には、百目蝋燭を持ち込み、障子に返る明かりだけで芸者遊びをしたお客様の話があります。揺れるろうそくの明かりの下でこそ白塗りが映えると分かった、という話です。明かりが乏しいので、お酌の時に自然と顔が近づき、ささやき声で話ができたそうです。

白く塗る理由は、女将の推測として記しています。

証言都鳥の女将本浅原須美『お座敷遊び』(光文社新書・2003)

このページの用語

日本髪(にほんがみ)
髷を結った昔からの髪の形。今の浅草の芸者衆は、基本はかつらで結う。
洋髪(ようはつ)
日本髪ではない、着物に合わせてまとめた髪。花柳界の言い方。
桃割れ(ももわれ)
半玉の髷。
高島田(たかしまだ)
一本の芸者の髷。花嫁の文金高島田とは別。
つぶし
高島田より低く軽い髷。年を重ねた芸者が結う。
笄(こうがい)
髷を横に貫いて挿す髪飾り。
元結(もっとい)
髷の根元を結ぶ紐。黒の引き着の時は紅白。一般には「もとゆい」と読む。
引き着(ひきぎ)
裾が長く、歩くと引きずる着物。お引きずりとも。
色変わり(いろがわり)
1 月の黒の引き着のあとに着る、黒ではない三つ紋の付け下げの引き着。
柳結び(やなぎむすび)
東京の芸者の帯の結び方。
肩上げ(かたあげ)
七五三の子どもの着物にするのと同じ、肩の縫い上げ。半玉の振袖にもする。
はしょり
裾を引かずに、腰のところで着物の丈を整える着方。
ぽっくり
半玉が外で履く、高さのある下駄。中に鈴が入っている。
鬢付け油(びんつけあぶら)
日本髪を結う時に使う油。白塗りの下地にも使う。
三つ襟(みつえり)
白塗りの時、うなじの形を塗り残して描くこと。
箱屋(はこや)
芸者衆の三味線を運び、着付けや取り次ぎをする人。三つ襟も描く。

このページの出典

  • 証言:都鳥の女将 取材の映像(2025年11〜12月)・録音(2026年9月)
  • 証言:三代目 河村悠太(都鳥・2026年8〜10月)
  • 証言:浅草の現役の芸者(地方)取材の映像(2026年4月 受領)
  • 本:浅原須美『お座敷遊び 浅草花街 芸者の粋をどう愉しむか』光文社新書、2003
  • 本:岩下尚史『花柳界の記憶 芸者論』文春文庫、2009

今のお座敷に続く装い

芸者衆の装いは、髷の形からかんざしの挿し方、帯の結び、三つ襟まで、一つずつに名前と決まりがあります。本の上では裾を引く姿が日常から消えた時期もありましたが、今の浅草では、ふだんのお座敷でも裾を引く芸者衆が多くいます。1 月には黒の引き着に鼈甲のかんざしを挿した芸者衆が、今もお座敷に出ています。

更新の記録 2026-10-24 11 項目で公開

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