01遊女は色を売り、芸者は芸を売る
昔から、二つの仕事はこの言い方で分けられてきました。
芸者と遊女のいちばんの違いを、昔の人は「遊女は色を売る、芸者は芸を売る」と言い表しました。芸者は踊りや三味線、唄でお客様を楽しませる人で、遊女とは仕事の中身が違います。都鳥の女将は、これは差別の言葉ではなく、役割の違いとしてはっきり言われていたことだと話しています。
幕末の文人、成島柳北(なるしまりゅうほく)も、芸者は芸を売るもので、色を売るのは遊女だと書き残しました。世間は二つを同じように見がちでしたが、芸者には意地があり、身持ちの堅い人が多かったとも書いています。
証言都鳥の女将本岩下尚史『花柳界の記憶 芸者論』(文春文庫・2009)
02芸者の務めは、座敷の芸と取り持ち
芸を磨く人ほど人気があり、お客様も一緒に芸を楽しみました。
江戸の吉原の芸者は、遊女の仕事に踏み込まず、座敷で芸を見せ、席を取り持つことだけをしました。本はこれを東京の花柳界の原則と書いています。
録音のない時代、宴には三味線や唄の生の音が欠かせませんでした。そのため芸を磨いた上手な芸者ほど人気がありました。お客様の側にも三味線や唄、踊りをたしなむ人が多く、芸者と一緒に弾いたり歌ったりしたそうです。女将は「今でいうカラオケ」に近いと話します。今はそうしたお客様は少なくなりましたが、まれにいらっしゃいます。
証言都鳥の女将本岩下尚史『花柳界の記憶 芸者論』(文春文庫・2009)
03見た目でも分かる。芸者は帯を後ろ、遊女は前で結ぶ
ひと目で見分けられるように、決まりができていたそうです。
芸者と遊女は、見た目でも区別されていました。芸者は帯を後ろで結び、遊女は前で結びます。女将は、二つの仕事がはっきり分けられるのに合わせて、見た目ですぐ分かる決まりもできたと話しています。下の写真のように、芸者は帯を背中のお太鼓に結びます。
芸者の帯は、背中でお太鼓に結ぶ(浅草 都鳥・2026年9月)。証言都鳥の女将