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引き算の美学
芸者の伝統メイクは、足し算ではなく引き算です。流行のつけまつげや今風のアイメイクは取り入れず、日本髪と着物に映える最小限の塗りにとどめる。それが芸者の化粧だと、女将は考えています。
浅草 都鳥 1950年創業
浅草に1950年から続く待合茶屋・都鳥。芸者衆と過ごす一晩を、ご紹介のない方にも、はじめての方にもお楽しみいただけます。
最終更新日:2026年9月26日
女将・千景 ── 浅草都鳥の女将・元芸者
ごあいさつ
都鳥は1950年に創業し、浅草で芸者衆のお座敷を続けてきました。
美空ひばりさん、石原裕次郎さん、勝新太郎さんにもお越しいただきました。現在も、世代の異なるお客様にご利用いただいております。
近年は海外のお客様にも、お座敷に来ていただいています。
“想像よりもずっと面白かった”
“こんなに楽しいと思わなかった”
“こんな体験、したことなかった”
お座敷を体験されたお客様から、よくこのようなお声をいただき、本当に嬉しく思います。200年以上変わらないこの遊び方を、少しでも多くの方にお届けし、人生の想い出の一つにしていただければ幸いです。
屋号「都鳥」の由来
在原業平の『伊勢物語』に次のような歌があります。
名にしおはば いざ事問はむ都鳥
わが思ふ人は ありやなしやと
都という名にふさわしい鳥であれば尋ねよう、都鳥よ──私が恋しく想う人は、無事でいるかと。
お越しくださったお客様と、想い合える場所であり続けたい。都鳥という店名には、そういう願いを込めています。
都鳥の心
浅草生まれ・浅草育ち。母は芸者、祖父は新派の役者で、5歳の頃から芸の稽古を始めました。芸者として27年、女将として30年の経験を重ね、「一生修行」と話します。
6月6日に芸事を始めると「飽きずに上達する」という江戸期からの慣例にならい、踊りと清元から稽古を始めました(数え年の六歳で、満年齢では五歳にあたります)。鳴り物(鼓・太鼓)は小学校2年生から。半玉になる頃には、踊り・鳴り物・茶道に加え、長唄・清元・小唄・三味線を含めて毎週5〜6つのお稽古を続け、芸を磨きました。
中学卒業後、すぐに花柳界へ。※半玉(はんぎょく)として芸者デビューしました。世間のことを何も知らない少女が、お酒の席という大人の世界に出る──“あの時期が一番神経を使った”と振り返ります。
※半玉とはまだ若い修行中の芸者のこと
3年半の半玉期間を経て、一人前の芸者として※一本(いっぽん)披露目をし、芸者としての人生を歩み始めました。
半玉の頃から数えて27年にわたり、多くの著名人やお客様へ芸を披露し、おもてなしを続けてまいりました(美空ひばりさんとお座敷でご一緒に歌ったことなど、素晴らしい機会にも恵まれたと振り返ります)。
仕事と並行して日本舞踊・花柳流の師範代の免許や鳴り物の師範代免許を取得するなど、芸も磨き続け、歌舞伎座(旧・新両方)や国立劇場(大劇場・小劇場)、明治座などの大舞台でも日本舞踊を披露してきました。
※一本とは一人前の芸者のこと
都鳥の女将を継承。置屋として芸者を育てる立場にもなりました。
芸者として27年、女将として30年、合わせて50年以上、芸の世界で仕事を続けてきました。花柳界の発展を願い、紹介のない方のご予約を受け付け、世界中のお客様をお迎えしています。
千景は店を預かる立場であると同時に、27年この世界で芸者として働いてきた人です。
“都鳥を、お客様と私たちが本当に想い合える場所に──そしてお帰りの後にも、また訪ねたいと思っていただける家にしたいのです。”
── 女将・千景
女将の哲学
女将・千景が芸者時代から大切にしている、化粧と日々の修行についての考えです。
01
芸者の伝統メイクは、足し算ではなく引き算です。流行のつけまつげや今風のアイメイクは取り入れず、日本髪と着物に映える最小限の塗りにとどめる。それが芸者の化粧だと、女将は考えています。
02
芸の世界に50年以上身を置く女将は、「これでできているかと言えば、まだまだ」と語ります。芸もおもてなしも、一生修行し、勉強を続けるものと考えています。
現役の芸者衆
浅草で舞台に立つ現役の芸者衆三人に、芸者になったきっかけを聞きました。
“小さい頃、京都の舞妓さんに憧れがあったんですけど、東京にこういう世界があると知らなかったんです。大人になってから、東京の街で黒の出を着た芸者衆を見かけて──東京にもこういう世界があるんだ、と。年齢的にも今やらないと、と思って、飛び込みました。”
“芸者修行は大変だったでしょう、とよく言われるんですが、私はそうは思いませんでした。保育園のお遊戯会で日本舞踊を見たときから、ずっといいなと思っていて。それが18歳のときに、種で眠っていたものがふっと開いたような感じで──ずっと欲しかったものだから、何の苦もなかったんです。”
“出たての頃から、お引きにしてくださっているお客様が、心に残っています。お稽古を積みながら、その方たちに‘この子を応援してよかった’と思っていただけるように──それを支えに、毎日のお稽古を続けています。”
ご紹介なしで
かつて、お座敷は限られた方々だけのものでした。都鳥は浅草で、ご紹介のないお客様のご予約もお受けするようにしました。
古くは、芸者衆と席を共にするには、ひいきのお客様からの紹介が必要でした。日本人でも、お座敷を経験したことのある方は決して多くありません。海外の方にとっては、そもそも辿りつくことすら難しい世界だったのです。
一方で、浅草の花柳界は静かに変わっていました。芸者の数は減り、街にあった料亭の多くが姿を消していきました。このままお客様が入れない世界にしておくのは違う、と女将は考えました。
ご紹介のないお客様からもご予約を受けるようになりましたが、芸者衆のお座敷の内容は変えていません。
現在、都鳥はオンラインからの直接のご予約も受け付けています。ご紹介も仲介の方も必要ありません。芸者衆のお座敷を見てみたい、というお気持ちさえあれば、どなたでもお迎えします。
伝統的な掘りごたつ式のお席。テーブル&椅子のお部屋もご用意しております。
基本情報
都鳥のお座敷
都鳥のお座敷の特徴をまとめました。
近年、浅草には観光客向けの「芸者体験」を演出する施設も増えています。都鳥が呼ぶのは、すべて浅草見番に登録された本職の芸者衆です。何年も稽古を重ね、舞と音曲を身につけています。
都鳥は待合茶屋として、信頼できる料亭・仕出しからお料理を仕入れています。事前にご相談いただければ、ヴィーガン・ハラル・グルテンフリーなどのご要望にもできるかぎりお応えできます。お座敷でこの柔軟さを保っている店は限られています。
ご希望の方には幇間(ほうかん)の手配も可能です。機知・即興・滑稽を芸とする男性の芸能者です。いまはなかなか出会う機会がありません。
都鳥は、料亭・お茶屋として初めて、浅草で一見のお客様を表立ってお受けしたお店です。ご紹介がなくても、お電話やお問い合わせフォームから直接ご予約いただけます。お電話やお問い合わせフォームから、お気軽にご連絡ください。
お座敷でのお写真・動画撮影は自由です。舞踊・お座敷遊び・お見送りまで、どの場面でもお撮りいただけます。芸者衆との記念撮影も、お帰りの前にどうぞ。
歴史と伝統
1950年の創業以来、都鳥には日本の代表的な舞台で活躍する方々や、各分野の文化人が訪れてきました。
女将・千景自身も、こうした舞台で日本舞踊を披露してきました。都鳥のお座敷では、芸者衆と伝統芸能に携わる方々の交流が長く続いてきました。
お座敷の所作や舞踊の精度、お部屋の間の取り方にも、長く都鳥を続けてきた経験が表れます。
お客様の声
Google レビューより、実際にお越しくださったお客様の声をお届けします。
“正直、芸者さんの世界は少し敷居が高いイメージがありましたが、実際はとてもあたたかく、いい意味で想像が変わりました。芸者さんとこんなに近くで、しかもゆっくりお話しできたのは初めてで、それだけでも感動。”
“入った瞬間から美しい芸者さんたちが優雅に迎えてくださり、心から温かな雰囲気で包まれました。……子供たちも最初は少し緊張していたのに、すぐに打ち解けて目を輝かせながら芸者さんとおしゃべりしたり写真を撮ったり。”
“どこか縁遠いと思っていたお座敷遊びを体験させて頂きました。……この業界(花柳界)は一見さんお断りのお店も多い中、海外の方を含めた新規のお客様にもその門戸を開いてくれています。……2時間があっという間に経ってしまう、そんな体験でした。”
メディア掲載
都鳥を少しでもいいなと思っていただけたら、次は、お座敷の一晩がどう流れるのかをご覧ください。
浅草 都鳥 芸者文化の体験
ようこそ、お座敷へ
お問い合わせには通常2営業日以内にお返事いたします
運営:株式会社都鳥(浅草の待合茶屋 都鳥・都鳥について)
監修:女将 千景(1969年に浅草の半玉としてデビュー。芸者歴27年の元芸者) 執筆・編集:河村悠太(三代目)