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浅草の地名の由来とは?【徹底解説】有力な3つの説と知られざる歴史

浅草の地名の由来は、実は一つに定まっておらず諸説ございます。当記事では、地形に由来する説、アイヌ語説、チベット語説という有力な3つの説を徹底解説いたします。それぞれの説の根拠や、浅草の象徴である浅草寺の創建との深い関わり、そして「浅草」という漢字が定着するまでの歴史的背景まで詳しくご紹介します。地名の起源を知ることで、浅草の文化と歴史への理解をより一層深めていただけます。

1. 浅草の地名の由来は一つじゃない?有力な3つの説を紹介

「浅草」という地名は、誰もが一度は耳にしたことがあるかと存じます。しかし、その由来を尋ねられると、明確に答えられる方は少ないのではないでしょうか。実は、浅草の地名の由来は一つに定まっておらず、その起源については諸説ございます。ここでは、特に有力とされる3つの説を紐解いてまいります。

【有力説1】地形に由来する説「草が浅い」

最も広く知られているのが、その土地の様子、すなわち地形から名付けられたとする説でございます。この説はさらに二つの解釈に分かれます。

〇 武蔵野台地の端で草がまばらだったため

一つは、この地が広大な武蔵野台地の東の端に位置していたことに着目する説です。台地の末端であったため土壌が肥沃でなく、植物の生育がまばらで、草が浅く生えているように見えたことから「浅草」と呼ばれるようになったとされております。

〇 隅田川沿いの湿地帯で草丈が低かったため

もう一つは、隅田川沿いの地理的特徴に由来する説です。かつての浅草周辺は湿地帯が広がっており、そこに生える草の丈が短かった(浅かった)ことから「浅草」の名が付いたというものです。台東区の公式見解でも、こちらの説が紹介されており、湿地に生える草が浅かったためという説が有力であるとされております。(参考: 台東区ウェブサイト「浅草の地名の由来」

【有力説2】アイヌ語に由来する説「アツアクサ」

地形説とは全く異なる視点から、アイヌ語を語源とする説もございます。かつて関東地方にもアイヌ民族と関連のある人々が暮らしていた痕跡があり、その言葉が地名として残ったのではないかと考えられております。

〇「アツアクサ」が意味するもの

アイヌ語の「アツアクサ」が転じて「アサクサ」になったとする説です。この「アツアクサ」の解釈には、いくつかの説がございます。

語源とされるアイヌ語日本語での意味
アツ・アク・サ海を渡る場所
アッ・サム楡(ニレ)の木の群生する場所

〇 なぜアイヌ語が浅草の地名由来とされるのか

この説は、言語学者の故・山田秀三氏によって提唱されました。関東地方にはアイヌ語に由来すると考えられる地名が点在しており、浅草もその一つではないかというものです。隅田川を渡る交通の要所であった歴史を考えると、「海を渡る場所」という解釈は非常に興味深いものがございます。

1.3 【有力説3】チベット語に由来する説「アーシャ・クシャ」

最後に、仏教と深く関わる、異国情緒あふれる説をご紹介いたします。これは、浅草寺のご本尊である観音菩薩に由来するという考え方です。

〇 聖なる場所を意味する言葉

この説では、チベット語で「聖なる者の住処」や「観音様の聖地」を意味する「アーシャ・クシャ」という言葉が、時を経て「アサクサ」に転訛したとされております。

〇 仏教との関連性と浅草寺

浅草が観音信仰の中心地として発展してきた歴史を鑑みると、この説もまた説得力を持ちます。浅草の歴史は浅草寺の歴史と切り離せないものであり、地名そのものが観音様への篤い信仰心から生まれたと考えるのは、実にロマンのある話でございます。

2. 「浅草」の漢字表記の変遷と歴史

現在、私たちが当たり前のように使っている「浅草」という漢字。しかし、この表記が定着するまでには、いくつかの変遷がありました。ここでは、「あさくさ」という地名の音が、どのように文字として記録され、現代に至るのか、その歴史を紐解いていきます。

2.1 昔は「浅草」ではなかった?「あさくさ」の表記の歴史

地名の多くは、まず「音」が存在し、後から意味や音に合う漢字が当てられることが少なくありません。「あさくさ」もその一つと考えられています。歴史上、「あさくさ」には様々な漢字が使われてきました。

文献上で「浅草」という表記が初めて登場するのは、鎌倉幕府の公式な歴史書である『吾妻鏡』です。建久3年(1192年)の条に「浅草御堂」という記述が見られ、これが最古の記録とされています。

しかし、それ以前や同時期には、ほかにもいくつかの表記が存在していました。代表的な表記の変遷を以下に示します。

時代表記例備考
不明(古代)麻草この地に麻が多く自生していたことに由来するという説があります。
鎌倉時代浅草『吾妻鏡』に初出。現在の表記と同じですが、まだ一般的ではありませんでした。
室町時代〜戦国時代浅草・浅草賀・阿草複数の表記が混在していた時期と考えられています。

このように、「あさくさ」という音に対して、時代ごとに様々な漢字が当てられていたことがわかります。

2.2 「浅草」の地名が定着したのはいつからか

『吾妻鏡』に登場した「浅草」の表記が、一般的に広く使われるようになり、定着したのは江戸時代に入ってからのことです。

その大きなきっかけとなったのが、徳川家康による江戸の街づくりでした。江戸幕府が開かれると、浅草寺は幕府の祈願所と定められ、その門前町は大きく発展します。都市開発が進む中で、幕府が公式な地名として「浅草」を用いるようになったことで、この表記が統一され、人々の間に浸透していきました。

つまり、江戸幕府の成立と浅草寺の発展に伴い、江戸時代を通じて「浅草」という漢字表記が完全に定着したのです。この歴史は、台東区の公式情報にも記されています。詳しくは台東区のウェブサイト「浅草(あさくさ)の由来」もご参照ください。

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